欝、パニック障害、過換気、
ストレス性胃炎及び頭痛
軽度過食
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明日、特に好意を持ってない男性と食事しなければならない。 めんどくさい。だるい。 たぶん断ってもいいんだろうけど友達の友達だから友達との絆を保つために一応会っておかないとならない相手なんだ。 あと、一度断って明日にずらしたからこれ以上ずらせないっていうのと。 だからまあ先送りにすると自分が辛くなるだけだと思う。 あーめんどくさいけどいってこよう。 最初なんてフルコースにされそうだったからもう想像するだけで発狂しそうなくらい面倒だった。 ショッピング → 映画 → 夕飯 → カラオケ → イルミネーション → 飲み それ何てリア充? 女友達とのフルコースすら途中で惰性になるのに、初対面で二人きりでそんな間が持つわけないだろうと言いたい。 つーか付き合ってもそんなコテコテのデートコースやりたかない。 私は気が向かないのに相手が強烈に私のことを気にいっているらしい。 なのにぶっちゃけ奢りですらない(別に奢りが当然と言うわけではない、それだけの価値を感じ得ないだけで)わけで、完全割り勘なわけで、そういうとき私はなるべく安いもののなかから好きなものを頼んだりするけど、相手はかなり稼いでる人だからガンガン頼む系の人らしい。 なんでそいつが欲望の赴くまま勝手に頼んだものの金まで低収入(失業手当てのみ)の私が半分払わないとならないのか。 万一そいつと付き合ったら交際費で死ぬ。 ケチと言われたって、いや、それはただの浪費だ、としか返せない。 安くて美味しいものも、お金がかからなくて楽しいことも、たくさん知っているのに。 やっぱ趣味があう人とじゃないと恋にならない。 話にならん。 ていうか、金がかかるばかりで楽しくない。信じられない。 そんなのに一日金をかけるくらいなら新しいレンズなりフィルムなり買うわといいたい。 以前同じ趣味の異性と、写真撮りに行って公園で一日過ごし、暗くなったら夕飯で解散くらいな気軽でお金のかからないデートをしたことがある。 たくさん笑った、幸せだった、楽しかった。 そのほうがよっぽど刺激的だし生産的だ。 今って、娯楽のためにどれだけ金を取られるんだ。 特に歌いたくもないのにカラオケに付き合う、ムダに高い食事をする、飲み屋はぼったくり。 下らない。 ファインダーを覗くほうがずっと刺激的なのに。 PR 薬は一日三回食後に。 病状が安定したため、辞めさせられから初めてハロワにいってきました。 そのうえ、「関わった書類を全部返せ」と給与明細さえ相手におさえられており、しかも雇用保険にも入っていなかったことが分かりました。 でも、もう欝になったストレッサーであるもとの会社に関わりたくなくて、逃げたくて、思い出したくもなくて… お金がもらえるのにもったいないかも、と思う気持ちはあるけど、精神的な平安が乱されることを考えるとお金にはかえられませんから。 昨日も、気分が落ち込んで泣いているときに「死にたい、消えたい」と何度も口にしてしまいました。 今朝方見た夢で、ちょっと変だけど救いになるような印象的なものがあったので日記に残しておこうと思います。 私は、空港のロビーのようなところにいました。 ロビーにアナウンスが流れます。 「天国行き○○便へご搭乗のお客様は、○番ゲートまでお越しください」 たくさんの人の気配が周りでしています。 彼らの表情までは分かりませんでしたが、そのアナウンスを聞いた人たちは、ある程度の人数ずつ、ざわざわとどこかへ移動していきます。 私はチケットを持っていませんでしたが、なぜか自分の乗る便がわかっていました。ずっとロビーの椅子に座ってアナウンスを待っています。 しばらくすると、アナウンスが聴こえてきました。 「天国行き○○便へご搭乗のお客様は……―― おまいら、おととい来やがって下さい」 それを聴いた乗客がざわつきます。 私は驚いて言葉を失いました。 何、このモロに2ちゃんねるな感じのこの言葉遣い(笑) そうしたら、突然場面が変わって、周りが真っ白になりました。 そして、何年か前に亡くなったうちで同居していた父方の祖母がでてきました。 「○○ちゃん(私の本名)、こっちへ来るのはまだ早いよ」 関西弁だった祖母の、独特のイントネーションでした。 はっきりと表情が分かりました。 そして私は目を覚ましました。涙が流れていました。 夢を忘れたくなくて、二度寝(笑)はしませんでした。 以下には具体的な祖母との関係などがたたんであります。 興味がありましたらどうぞ。 死ぬことを情緒的に求める瞬間がある。 そのとき心のうちでは、死が苦痛から救い出してくれる永遠の眠りのように、耽美に描かれる。 永眠と睡眠には共通点がある。 意識を手放すという点である。 しかし、永眠を体感したことのある生きた人間は存在しない。 多くの人にとって睡眠とは幾度となく体感している、苦痛を伴わない本能であり、快楽である。 死とはどんなものなのか……生きている以上体感できないそれを想像するとき、死もそのようにあってほしいと願うのだろうか。 死ぬことを激しく恐ろしく感じる瞬間がある。 そのとき心のうちでは、その肉体が命を、意識を、自我を失うことの恐ろしさが現実的に描かれる。 自分というものがなくなる恐怖、自分が人間ではなく、冷たい肉の塊となってしまう恐怖。 何もかもがなくなってしまうのか、いわゆる黄泉の国が存在するのか、私たちが知ることは出来ない。 その瞬間に苦痛を味わうのか、もしくは悦楽を味わうのか… 死への恐怖は、理解できない「なにか」への恐怖でもある。 死は今も、私たちの一歩後ろでまるで真っ黒な深い穴のようにぽっかりと口をあけている。 「願わくば、私がその穴へ落ちるとき、それは眠りのように安らかで優しいものとして抱きしめてくれますように」 誰もが願い、そして、それは、叶ったのか。 Copyright © [ 言葉のサラダ ] All Rights Reserved. http://waterrose.blog.shinobi.jp/ |